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(9月8日)東宝ミュージカル「レ・ミゼラブル」大阪公演ソワレ観劇 [レ・ミゼラブル]

 9月8日(日)はフェスティバルホールで公演中のミュージカル「レ・ミゼラブル」大阪公演ソワレを観劇してきた。

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 大阪を代表するこのフェスティバルホールは、開場後50年余りを経て老朽化した前劇場を取り壊して同じ場所に建て直したばかりで、外観内装とも真新しく、廊下やホワイエ、喫茶コーナーも広々としていた。また、客席も外国人の利用を意識した大きなサイズのものが用いられ、シートピッチも他の劇場よりもゆったりしているように感じられた。

 ミュージカル「レ・ミゼラブル」は今回が初めての観劇である。これまで、原作を読んだほか、25周年記念コンサートの映像や映画版を何度も観ており、また、CDでは旧演出版の赤版(鹿賀盤)、山口盤、今井盤などを聞き込んでいたので、台詞もほぼ頭に入っているが、実際の舞台は観たことがなかった。

 座席は最前列右ブロックの上手隅近くであった。セットの構造上、舞台の上手側が見切れてしまう席ではあるが、上手と下手の端は、オケピットを挟まずに直接舞台と客席が接する構造になっており、舞台端まで来たアンサンブルの芝居やプリンシパル(特にエポニーヌ)の芝居の一部がすぐ目の前で観ることが出来た。アンサンブルの芝居(物乞いや淫売の客引きなど)は、極めて丁寧で真に迫るものがあり、一切の妥協がなく圧倒された。実に素晴らしかった。

キャストは、
ジャン・バルジャン:キム・ジュンヒョンさん
ジャベール:川口竜也さん
エポニーヌ:綿引さやかさん
ファンテーヌ:和音美桜さん
コゼット:若井久美子さん
マリウス:原田優一さん
テナルディエ:萬谷法英さん
マダム・テナルディエ:浦嶋りんこさん
アンジョルラス:野島直人さん
ガブローシュ:鈴木知憲さん
リトル・コゼット:木村青空さん
リトル・エポニーヌ:原田くるみさん
司教:田村雄一さん
工場長:石飛幸治さん
バマタボア:宇部洋之さん
グランテール:丹宗立峰さん
フイイ:神田恭兵さん
コンブフェール:原慎一郎さん
クールフェラック:高舛裕一さん
プルベール:杉野俊太郎さん
ジョリ:川島大典さん
レーグル:持木悠さん
バベ:櫻井太郎さん
ブリジョン:森山大輔さん
クラクスー:土倉有貴さん
モンパルナス:大津裕哉さん
ファクトリーガール:池谷祐子さん
買入屋:般若愛実さん
かつら屋:柳本奈都子さん
マダム:吉川恭子さん
女:浅野実奈子さん
女:藤咲みどりさん
女:石田佳名子さん
女:穂積由香さん
女:岡井結花さん
女:松本ほなみさん

であった。

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 アンサンブルは全体的にかなり若く、年配の俳優が演じたほうが良さそうな役も若年者で賄っているため、説得力に欠ける部分もあった。しかし、その分、第2幕のバリケードの場面では自由を求めて戦う若者たちの姿が躍動的に力強く表現されていた。また、若さもあってか、総じて芝居に鋭さを感じた。これまでCDで聞いてきた雰囲気に比べると、感情表現、とりわけ理不尽な社会への下層市民の怒りの表現が鋭くて強いと感じる部分が多かった。この勢いは第1幕終盤の「ワン・デイ・モア」に結実し、インターミッションに入ってもしばらく拍手が鳴り止まなかった。

 なお、座席がオケピットに近かったからかも知れないが、オーケストラの演奏が随分華やかに感じた。新演出だからなのか、ホールの残響特性なのか正直なところは分かりかねる。

 私は旧演出版を見たことがないので、新演出版との比較は出来ないが、例えば、「ワン・デイ・モア」のシーンでマリウスが「彼女と行くか、仲間と行くか」をエポニーヌに話しているシーンがあり、マリウスのダメ男ぶりが一目で分かるなど、細かい部分で、台詞には乗せずして、観客の作品への理解を助けているようなシーンが散見された。

 次に各キャストについてであるが、
 ジャン・バルジャンのキム・ジュンヒョンさんであるが、終始鋭さを感じさせた。原作を読んだ限りでは、改心してからのジャン・バルジャンには包容力がついているように理解していたので、そういう意味では、キムさんのジャン・バルジャンは、鋭くときに冷淡にさえ感じられた。以前、劇団四季に在団されていた頃に、ジーザス・クライスト・スーパースターのタイトルロールを演じておられたのを拝見したことがあり、その時のクールなジーザスを思い出しながら観ていた。

 ファンテーヌの和音美桜さんであるが、歌声の繊細さに思わず心を奪われた。歌声には定評のある方なので、今回初めて拝聴出来るのを密かに楽しみにしていた。

 コゼットの若井久美子さんは、全体的にはやや押しが弱く、とりわけエピローグでのジャン・バルジャンとの掛け合いでは、それを強く感じた。しかし、原作におけるコゼット像のとおりの透明感のある美しさが光っていた。

 マリウスの原田優一さんは、第1幕後半の「プリュメ街」、「心は愛に溢れて」の歌唱時にマイクトラブルに見舞われた。プツ、プツという大きなノイズが断続的に続いて、全く音が入らなくなった。客席最前方では辛うじて歌声は聞こえたが、後方の観客には充分聞こえなかったのではないかと思う。それでも冷静に対応され、窮地を乗り切られた。なお、後に「ワン・デイ・モア」のシーンでも、ジャベールの「明日は革命 嗅ぎ出してやる」の部分が聞こえないトラブルがあった。今回は音響面はトラブルが多く、この点は残念であった。

 エポニーヌの綿引さやかさんには、気迫を強く感じ、終始目を離せなかった。これほどの実力のある方が、当初はアンサンブルであったということに、アンサンブル勢の層の厚さを感じた。

 ジャベールの川口竜也さんには、すっかり魅了された。圧巻の歌声と表現力、存在感、どれを取っても素晴らしかった。カーテンコールでは男性客からの野太いブラボーの歓声が浴びせられていた。


 作品全体を通じてであるが、
 エポニーヌが第2幕で歌うアリア「オン・マイ・オウン」は、ファンテーヌが第1幕で歌う「ファンテーヌの死」とジャン・バルジャンが最後に歌う「エピローグ」の一部に旋律が共通している。いずれも自らの犠牲の下に、自らの命を賭して最愛の者への愛を貫く者が歌う旋律であり、そのことの暗示となっている。

 ファンテーヌにとってはコゼットが唯一のよすがであり、後に、ジャン・バルジャンも同じ思いをコゼットに抱く。エポニーヌもマリウスを唯一無二の存在と認識し、命を捧げてでもその人の幸せのために尽くそうとする。そして、彼らの犠牲のもとにコゼットとマリウスの幸せな未来が成り立っている。しかし、当の犠牲となった者達は、誰も自らが二人の犠牲になったなどとは言わないであろう。寧ろ彼らの幸せこそが命を賭けてでも得たかったものなのだと誇らしげに言うのだろう。それこそが無償の愛、真実の愛の形なのだ。

 このことは何も物語の世界の中の特別なことではなく、例えば、手塩にかけた子を巣立たせる親の心境たるやこれと同じくらい崇高なものなのだと感じる。この子を手元から失えば、自分にとっては大きな損失だと知りながらも、その子の幸せを望めばこそ、敢えて手元から飛び立たせる。最愛の者を得てその愛を全うすることは、自ずと人を神の領域に近づける。

 このミュージカルの最後でジャン・バルジャンは主の国の入り口で「誰かを愛することは神様のお傍にいることだ」と歌う。今回の観劇を通して、改めて我が人生を振り返り、私に献身的な愛を授けてくれた方々への感謝の思いが溢れ出した。
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