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(11月1日)劇団四季ミュージカル「ジーザス・クライスト=スーパースター」大阪狭山公演ソワレ観劇 [ジーザス・クライスト=スーパースター]

11月1日は、SAYAKAホールで開催された劇団四季ミュージカル「ジーザス・クライスト=スーパースター」大阪狭山公演ソワレを観劇してきた。

キャストは
ジーザス・クライスト:神永東吾さん
イスカリオテのユダ:芝 清道さん
マグダラのマリア:観月さらさん
カヤパ(大司教):金本和起さん
アンナス(カヤパの義父):吉賀陶馬ワイスさん
司祭1:佐藤圭一さん
司祭2:中橋耕平さん
司祭3:真田 司さん
シモン(使徒):佐久間 仁さん
ペテロ(使徒):五十嵐 春さん
ピラト(ローマの総督):青井緑平さん
ヘロデ王:下村尊則さん

【男性アンサンブル】
小野功司さん
中村 伝さん
東 泰久さん
安東 翼さん
光田健一さん
深堀景介さん
鈴木智之さん
坂口大和さん
沢樹陽聖さん
頼 雅春さん
田口 暉さん
久保亮輔さん

【女性アンサンブル】
持田紗希さん
原田真由子さん
柴田厚子さん
高木千晶さん
金 友美さん
園田真名美さん
花田菜美子さん
蒼井 蘭さん
山本詠美子さん
田端史夏さん
田橋愛子さん
富樫知美さん
であった。

 実は、今日は芝さんのユダを楽しみにしていた。私がまだ劇団四季に関心がなかった頃、フジテレビ系ミュージックフェアの劇団四季特集(2004年放送)で偶然芝さんのユダを見て度肝を抜かれた。これまで幾つかの役で芝さんを拝見しているが、ユダは未見であり、まさに10年越しの念願が叶った思いであった。今日の芝さんは、高音は控えめでロングトーンは短めに切っていた。長期の全国ツアーをシングルキャストで乗り切るための工夫かと思われる。

 今日のもう一つの楽しみは、名演の呼び声高い下村さんのヘロデ王であった。こちらは、出番が限られていることもあってか、その声量と迫力を大いに堪能出来た。一度退団された方なので、まさか観る事が出来るとは思いも寄らなかった。

 初見の神永さんのジーザスも如何にもこの役を演じるには最適な年代であるし、やや線が細そうなところといい、前評判どおりよく嵌っておられると感じた。

 同様に初見の観月さんのマリアであるが、ストレートな歌唱が印象的で、マリアの立場からすれば、このような表現方法もあり得ると感じた。

 作品全体としては、やはり主題が重いので、単純なエンターテイメントとは言い難い部分もあるが、逆にスケールダウンして認識すれば、我々の日常でも目にするかも知れない物語であるとも言い得る。この作品を日常の中での物語だと考えたときに、それぞれの役の立場に思いを巡らせれば、きっと違う景色が見えてくるのであろうし、また翻れば、その方法論で以って、今自分自身が身を置いているコミュニティーや組織を再認識すれば、大いに社会人として容易ならざる社会を生き抜くヒントになる作品であるとも感じる。

(10月11日)ミュージカル「ファントム」大阪公演ソワレ観劇 [ファントム]

 10月11日(土)は、梅田芸術劇場で公演中のミュージカル「ファントム」大阪公演ソワレを観劇してきた。

 座席は15列目センターブロックのど真ん中で、舞台上がクリアに見渡せる良席であった。
 なお、今日の公演は「ファントム」100回公演(宝塚歌劇での公演回数を除いた国内公演回数)にあたり、記念カーテンコールが終演後に実施された。内容としては、100回全てに出演したお二人のキャストの方が代表挨拶をし、クス玉を割るというものであった。また、今日の公演の観客全員には記念品として、チケットホルダーがプレゼントされた。

主なキャストは
ファントム(エリック):城田 優 さん
クリスティーヌ・ダーエ、べラドーヴァ:山下 リオさん
フィリップ・シャンドン伯爵:日野 真一郎さん
文化大臣:コング 桑田さん
ルドゥ警部:池下 重大さん
ジャン・クロード:大山 真志さん
アラン・ショレ:三上 市朗さん
カルロッタ:マルシアさん
ゲラール・キャリエール:吉田 栄作さん
であった。


 作品としては宝塚歌劇で過去3回公演されている「ファントム」と同じもの(モーリー・イェストン版)であるが、歌詞は宝塚歌劇とは異なるオリジナルの翻訳となっていた。おそらくは今回の翻訳の方が原語での「ファントム」に近い内容なのではないかと推測されるが、日本語としての美しさや分かりやすさは宝塚歌劇版に軍配が上がるように感じた。また、ストーリーも微妙に変えられていて、この公演では、カルロッタの死因は転落死となっている。原作であるガストン・ルルーの小説「オペラ座の怪人」を読む限り、主人公には女性への畏怖の念があり、カルロッタを剣で惨殺するこれまでのこの作品の展開は、原作の主人公像の本質を理解していないように感じられ常々残念に思っていたため、このストーリー変更には大いに頷けた。

 宝塚歌劇版との比較で言えば、今回のカルロッタはかなり砕けている印象を受けた。カルロッタを演じるマルシアさんが全力で歌えば、カルロッタが歌姫に相応しく見えてしまうであろうことから、カルロッタが旬を過ぎた芸術家であるという原作のプロットも踏まえて、敢えて砕けさせているように感じた。

 作品の感想としては・・・。
 エリックは、自らを良く知っており、欠点を仮面に隠して、密かに生きている。しかし、そのエリックを、醜いといって恐れたり、つまはじきにしたりするその他の者達はといえば、皆、エゴの塊のような醜い人間ばかりなのだ。しかも何とも始末の悪いことに、彼らには自らの醜さへの認識はない。その様のコントラストを感じるにつけ、実は、自らを知り、恥も知っているエリックこそが人間として最も正しく美しい在り方を実現しているのかも知れないと気付くのである。

(9月13日)東宝ミュージカル「ミス・サイゴン」大阪公演マチネ観劇 [ミス・サイゴン]

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 9月13日は、フェスティバルホールで公演中の東宝ミュージカル「ミス・サイゴン」大阪公演マチネを観劇してきた。

 座席は1階S席12列目(実際にはオケピットがあるため7列目)センターブロック下手端であった。舞台全体が無理なく見渡せる良席であった。この日は3階席下手に学生の団体がいたらしく、カーテンコールでは3階席下手側から熱狂的な拍手と声援があがり、キャストも3階席の声援にこたえていた。

 主なキャストは、
エンジニア:駒田 一さん
キム:知念 里奈さん
クリス:上野 哲也さん
ジョン:上原 理生さん
エレン:木村 花代さん
トゥイ:神田 恭兵さん
ジジ:池谷 祐子さん
であった。

 今回、この演目は初見であり、事前に特に予習もすることなく観劇した。観劇後まず感じた率直な感想としては、この作品がオペラ「蝶々夫人」のオマージュであるということである。
終盤が近づくにつれて、これはもしや「蝶々夫人」なのではないかという疑念が芽生え、やがて、確信したときには、一瞬現実に引き戻されたような醒めた気分になった。しかし、わざわざオマージュという手法を用いたのは、作者が観客に訴えたい一つのメッセージなのだということに思いが至ったとき、何とも切ない気持ちになった。

 開国間もない時代のわが国の長崎とベトナム戦争当時のベトナム、時代も背景も異なれど、同様の悲劇が起こったということ、果たして本作品や「蝶々夫人」のように、母親が自殺したかは別としても、数多のアメリカ人とアジア諸国民との混血児(アメラジアン)が生まれ、父親も知らず貧困にあえいだり、偏見の目に晒されたりするケースが後を絶たなかったのは、厳然たる事実であろう。

 そして、本作品の作者は敢えてオマージュという手法を用いることで繰り返される愚かな歴史を一層鮮明に表しているように感じられた。

 なお、傍論ながら、本作品における日本人の描写は大変興味深い。「蝶々夫人」では、いわば被害者の立場にあった日本人が、本作品では、加害者に近い立場で描かれていた。バンコクの売春街の場面で女を漁るのは、皆日本人観光客なのだ。この作品は、世界各国で公演されているが、全ての国のバージョンで、この場面は日本人という設定になっているそうだ。この作品の舞台となった時代は、高度成長期こそ終わったが、オイルショックを経て、バブル期への道をひた走った時代であり、日本という国には時の勢いがあった。結局のところ、本作品は蝶々夫人のオマージュではあるが、日本人は、完全なる被害者ではあり得なかった。「蝶々夫人」の国の民とて例外ではないということを作者は敢えて描写することによって、本作品の問題提起が単にアメリカ人のみの問題としてではなく、より普遍的な人類の歴史上の問題として表そうとしているように感じた。

 また、もう一つ特筆すべきこととして、この作品では全幕を通じて、ベトナム人の抱くアメリカへの憧れが色濃く描かれている。楽曲「アメリカンドリーム」に代表されるように、アメリカに渡れさえすれば、幸せに暮らせ、金持ちにもなれ、容姿だって美しくなれるといった狂信的ともいえる誤解に基づいたアメリカ観がこの作品では敢えて貫かれる。それ故に、終幕間際に主人公のキムが、最愛の息子との今生の別れに、ミッキーマウスのトレーナーを着せてやる場面を見て、恐らく最底辺の暮らしの中で彼女が辛うじて買って来たであろうそのトレーナーに、救うべきものを救えず、幸せにもしないアメリカンドリームの真実の姿を見た思いがした。狂信的なアメリカ観と現実の落差が、アメリカンドリームの軽薄さと無力さをより一層際立たせ、それがただ哀しかった。

(7月19日)東宝ミュージカル「レディ・ベス」大阪公演初日ソワレ観劇 [レディ・ベス]

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 7月19日、梅田芸術劇場で公演中のミュージカル「レディ・ベス」大阪公演ソワレを観劇してきた。このソワレが大阪公演の初日に当たり、この作品のハイライト版CDの発売日であることもあり、開場前から大勢の観客が詰めかけ、開場後直ちに公演プログラム、グッズ、CD売り場は約20分待ちの長蛇の列となった。

 座席は1階S席の後ろから2列目の上手の一番端の座席であった。良席ではないがオペラグラスを使えば、特に支障はなかった。

 この作品はイギリス女王エリザベス1世の即位するまでの人生を描いたものであり、これまで、エリザベートやモーツァルト他の歴史上の人物の生涯をミュージカル化してきたミヒャエル・クンツェ、シルベスター・リーヴァイの両者の手による最新作である。本来は、ウィーン・ミュージカルのジャンルに当たるが、今回世界初演の地として日本が選ばれ、4月・5月の東京公演の後、この日大阪公演の幕が開いたことになる。

主なキャストは、
レディ・ベス:花總まりさん
ロビン・ブレイク:加藤和樹さん
メアリー・チューダー:吉沢梨絵さん
フェリペ:古川雄大さん
ロジャー・アスカム:石丸幹二さん
アン・ブーリン:和音美桜さん
キャット・アシュリー:涼風真世さん
シモン・ルナール:吉野圭吾さん
ガーディナー:石川禅さん
であった。

 初日ということもあり、プリンシパルはもちろんのこと、アンサンブルに至るまで鋭気に満ちているように感じた。

 楽曲は「エリザベート」や「モーツァルト!」程も、この曲が聴かせ処なのだと明確に分かるような部分はないように感じた。メリハリが薄いとも言えるが、その分、脇役同士の掛け合いなど思わぬところで迫力ある歌唱を聞くことが出来た。また、全体に聴かせ処が分散されていると考えれば、歌唱力を重視したと思われるキャストの布陣には大いに頷けた。

 各キャストについての感想であるが、
レディ・ベスを演じる花總まりさんであるが、実のところ今日は彼女を観に行ったといっても過言ではない。これまで映像でしか観たことがなかったため感無量であった。1996年の「エリザベート」日本初演のタイトルロールであり、いまだ伝説のエリザベートと呼ばれる彼女だけあって、役に良くはまっておられた。終盤、メアリーとの和解の場面以降は目に涙を浮かべる場面が散見された。

メアリー・チューダーを演じる吉沢梨絵さんは、以前、劇団四季の「夢から醒めた夢」のピコ役で観ている。その際の溌剌とした演技と圧巻の歌唱は、今なお印象に鮮明に残るところである。そんな彼女が悪役を演じると聞いて始めは半信半疑であったが、正直なかなか堂に入っていると感じた。有無を言わせぬ威圧感はないが、そういう選択肢を選ばざるを得なかったメアリーの信念というか無念を感じることは出来た。終盤は涙ながらの熱演であった。
なお、メアリー・チューダーと言っても誰のことか分からない方も多いであろうが、いわゆる「ブラッディー・メアリー」と呼ばれる人物である。

ロジャー・アスカムを演じる石丸幹二さんは、毅然として凛々しい在り方が彼の歌声にも良く合っていた。狂言回しとしての部分もあり、また、物語全般にわたってレディ・ベスを見守り導く役どころでもあることから、以前に観たジキル&ハイドのタイトルロールとは対照的に映った。

アン・ブーリンを演じる和音美桜さんは、その美声が冴えていた。処刑されたアン・ブーリンが潔白であったことを、語らずして歌声が物語っているようにも感じた。

シモン・ルナールの吉野圭吾さんとガーディナーの石川禅さんについては、楽曲「ベスを消せ」における掛け合いが圧巻であった。物語の本筋ではないものの全幕の中で最も盛り上がった場面と言うことが出来るだろう。


 作品全体としての感想であるが、「エリザベート」おけるトート、「モーツァルト」におけるアマデの役割をこの作品ではロビン・ブレイクが担っている。トートにおいては、エリザベートの死への憧憬やハプスブルグ家に忍び寄る破滅の予兆の象徴であり、アマデにおいては、モーツァルトを呪縛する幼少期の栄光の象徴であった。それでは、この作品におけるロビンは何を象徴するものなのか。おそらくは、人が人として生きるために必要なあらゆるものの象徴なのではないかと感じた。それは自由であり、愛であり、本来、人が人並みの営みを続けていれば、それなりに享受し得るものばかりであるが、国を治める星の下にうまれたレディ・ベスにはままならないものばかりなのだ。この物語の最期に即位の時を迎えるベスの表情には決意が浮かぶが、決して晴れやかなものではない。オペラの影響を強く受けているウィーン・ミュージカルにおいては、終幕に死を描くような悲劇的な結末が多いのだが、この作品では死ではなく、人として生きるために必要なあらゆるものをあきらめながら国を治める重圧の中で生き抜かねばならない若きベスの姿を描いている。ある意味において、死よりも過酷で悲劇的な結末と言う他はない。

永遠の0 [映画]

 25日(土)に映画「永遠の0」を観に行った。観客の年齢層は総じて高かったが、若者や子供も散見された。
 映画版は小説の内容をある程度圧縮したものであったが、伝えるべき点は省かずに、寧ろ端的に表現することで分かりやすい作品に仕上がっていた。
 とりわけ、終盤、主人公の祖父賢一郎が主人公に、このような悲劇は特別なことではなく、その時代を生きた人々は皆抱えながら生きてきたということを説く場面は、私のように戦争を知らない世代には、かなりの凄みを持って迫ってきた。
 また、映画の最後に、特攻に向かう宮部機が、最期の時を迎える間際に現代の我が国の上空に現れる場面は、非常にシンボリックで趣き深かった。宮部久蔵に象徴される数多の日本兵の方々は何のために己が命を賭けたのか。そして、彼らの犠牲の後で、この国を受け継いだ私たちに出来ることは何なのか・・・。
 上映中は、館内から嗚咽が漏れるほどで、とても涙なくして観ることのできない作品であるが、時間が経って冷静になってからの方が、寧ろ、考えさせられることの多い作品であると感じる。きっと、この作品は、現代を生きる日本人が、その存在すら忘れそうになっていた本来背負わねばならない十字架を眼前に突きつけているに他ならないのである。

(9月22日)東宝ミュージカル「レ・ミゼラブル」大阪公演マチネ観劇 [レ・ミゼラブル]

 9月22日(日)はフェスティバルホールで公演中のミュージカル「レ・ミゼラブル」大阪公演マチネを観劇してきた。
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 座席は5列目センターブロックのど真ん中であり、舞台全体が目一杯の迫力で視野に入る良席であった。

 この日の観客は、ショーストップナンバーの認識が25周年記念コンサートの映像でのそれに近く、比較的積極的に拍手していたのが印象的であった。

キャストは、
ジャン・バルジャン:福井晶一さん
ジャベール:川口竜也さん
エポニーヌ:綿引さやかさん
ファンテーヌ:和音美桜さん
コゼット:磯貝レイナさん
マリウス:山崎育三郎さん
テナルディエ:駒田一さん
マダム・テナルディエ:谷口ゆうなさん
アンジョルラス:野島直人さん
ガブローシュ:鈴木知憲さん
リトル・コゼット:北川真衣さん
リトル・エポニーヌ:清水詩音さん
司教:北川辰彦さん
工場長:田村雄一さん
バマタボア:石飛幸治さん
グランテール:菊地まさはるさん
フイイ:上野哲也さん
コンブフェール:杉山有大さん
クールフェラック:鎌田誠樹さん
プルベール:安部三博さん
ジョリ:篠田裕介さん
レーグル:高野二郎さん
バベ:藤田光之さん
ブリジョン:北村がくさん
クラクスー:萬谷法英さん
モンパルナス:西川大貴さん
ファクトリーガール:三森千愛さん
買入屋:廣野有紀さん
かつら屋:三戸亜耶さん
マダム:本田郁代さん
女:児玉奈々子さん
女:王子菜摘子さん
女:清水彩花さん
女:穂積由香さん
女:島田彩さん
女:山岸麻美子さん

であった。

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 今回も、第1幕終盤の「ワン・デイ・モア」の勢いは凄まじいものがあり、鳥肌がたった。やはり、インターミッションに入ってもしばらく拍手が鳴り止まない状態であった。

 今回の席からは、前回の席では見切れていた部分もはっきりと見ることが出来た。背景の巨大なスクリーンが非常に有効に機能しており、戦闘の場面では、大砲の砲撃により背景の建物の映像が振動するなど、細かいこだわりが光っている。また、下水道の場面なども、背景の転換と俳優の動きの組み合わせが絶妙で、あたかも本当に下水道を歩いているかのような錯覚を観る者に与える。また、ジャベールの自殺の場面も素晴らしく、カット割して編集された映像を観ているような感覚に囚われた。

 第2幕終盤のテナルディエ夫妻が盗もうとした銀の皿を舞台上で落としてしまう場面で、転がった銀の皿の一枚がオケピットに落ちそうになるハプニングがあった。その際、テナルディエ役の駒田さんが舞台の先端に果敢にダイビングし、舞台の縁にしがみつくようにしながら投げ出した右半身で落ちかけた皿を見事に抱え込んでキャッチするという珍事があった。駒田さんは観客のどよめきと喝采を浴び舞台の進行が一瞬中断した。駒田さんが指揮者に一礼をして再開となったが、下衆の象徴のようなテナルディエが最後の最後で英雄に見えてしまったというまさに珍事であった。この光景は実に微笑ましく、長く記憶に残りそうだ。

 次に各キャストについてであるが、
 ジャン・バルジャンの福井晶一さんであるが、ジャン・バルジャンの激しさや温かさといった複雑な人間性を生き生きと見事に表現されていると感じた。福井さんのお名前は以前から知ってはいたが、今日が初見であった。

 同じく初見のコゼットの磯貝レイナさんについては、明確な表現が印象的であった。とりわけプリュメ街でマリウスからエポニーヌを紹介され、過去の記憶の中のエポニーヌと紐付いた瞬間の怪訝そうなやや硬い表情が印象的であった。

 エポニーヌの綿引さやかさんに、今日は釘付けだった。プリュメ街の鉄格子から愛を囁くコゼットとマリウスを見つめる傷心の表情や、ワン・デイ・モアの場面でマリウスに仲間と戦うべきかコゼットと行くべきかを相談される時の切なげな表情、バリケードで天に召されるときの苦痛の中にも安らぎを得たような表情、どれを取っても思わず深い同情を禁じえなかった。

 ジャベールの川口竜也さんの存在感は相変わらずで、やはり圧倒された。他のキャストには一部喉の疲れが感じられる方がいたが、川口さんの歌声には疲れは全く感じなかった。2度目のカーテンコールではテナルディエの駒田さんと息がぴったりでいかにも仲良さげにはけて行った様子がコミカルで面白かった。

 司教の北川辰彦さんであるが、ジャン・バルジャンが銀の食器を盗んだことが分かった後、警官と野次馬が押し寄せて騒ぎとなった中、満面の笑みで事態を収束させ、厳粛な面持ちでジャン・バルジャンを諭し、諭し終わったら再び温かい笑顔を向けるという一連の表現の中で司教の人柄をはっきりと感じることが出来、大変感動した。

 作品全体を通じてであるが、
 バリケードでマリウスはエポニーヌにコゼットへの手紙を託す。この場面、映画版ではマリウスはガブローシュに手紙を託している。原作では、マリウスはまだ子供であるガブローシュの身を案じ、危険なバリケードから安全な場所に逃すために敢えて手紙を託している。おそらく、映画版では原作に忠実にガブローシュに手紙を託したのであろうが、舞台版においてもマリウスはエポニーヌに同じ思いから、手紙を託していると思われる。それ故、エポニーヌが戻ってきたときにマリウスは「何故戻って来た!」という言葉を発するのだが、新演出版ではこの部分が「いつ戻って来た」という台詞に置き換わっていて、この点は原作でのマリウスの真意から遠のいたように感じた。ここは、「何故戻って来た!」がマリウスの心情としては正解なのではないか。しかし、エポニーヌがマリウスを庇って撃たれるという結末は原作に忠実で、エポニーヌの払う犠牲が明確に表現されているように感じた。

 レ・ミゼラブルは、制作費に巨費を投じるいわゆるメガ・ミュージカルといわれる作品の代表作の一つであるが、本、楽曲、セット、衣装、オーケストラ、俳優のいずれをとってもその名に恥じぬ素晴らしい仕上がりであった。大阪公演は長らく行われておらず、今回の大阪公演で初めて観ることが叶った。凄まじいエネルギーを感じる作品で、何年も待った甲斐があったのは当然のこと、次にこのような作品に出会える機会はあるのかとさえ思ってしまった程であった。この作品がまた大阪で公演される日が来るのを楽しみに待ちたいと思う。



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(9月8日)東宝ミュージカル「レ・ミゼラブル」大阪公演ソワレ観劇 [レ・ミゼラブル]

 9月8日(日)はフェスティバルホールで公演中のミュージカル「レ・ミゼラブル」大阪公演ソワレを観劇してきた。

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 大阪を代表するこのフェスティバルホールは、開場後50年余りを経て老朽化した前劇場を取り壊して同じ場所に建て直したばかりで、外観内装とも真新しく、廊下やホワイエ、喫茶コーナーも広々としていた。また、客席も外国人の利用を意識した大きなサイズのものが用いられ、シートピッチも他の劇場よりもゆったりしているように感じられた。

 ミュージカル「レ・ミゼラブル」は今回が初めての観劇である。これまで、原作を読んだほか、25周年記念コンサートの映像や映画版を何度も観ており、また、CDでは旧演出版の赤版(鹿賀盤)、山口盤、今井盤などを聞き込んでいたので、台詞もほぼ頭に入っているが、実際の舞台は観たことがなかった。

 座席は最前列右ブロックの上手隅近くであった。セットの構造上、舞台の上手側が見切れてしまう席ではあるが、上手と下手の端は、オケピットを挟まずに直接舞台と客席が接する構造になっており、舞台端まで来たアンサンブルの芝居やプリンシパル(特にエポニーヌ)の芝居の一部がすぐ目の前で観ることが出来た。アンサンブルの芝居(物乞いや淫売の客引きなど)は、極めて丁寧で真に迫るものがあり、一切の妥協がなく圧倒された。実に素晴らしかった。

キャストは、
ジャン・バルジャン:キム・ジュンヒョンさん
ジャベール:川口竜也さん
エポニーヌ:綿引さやかさん
ファンテーヌ:和音美桜さん
コゼット:若井久美子さん
マリウス:原田優一さん
テナルディエ:萬谷法英さん
マダム・テナルディエ:浦嶋りんこさん
アンジョルラス:野島直人さん
ガブローシュ:鈴木知憲さん
リトル・コゼット:木村青空さん
リトル・エポニーヌ:原田くるみさん
司教:田村雄一さん
工場長:石飛幸治さん
バマタボア:宇部洋之さん
グランテール:丹宗立峰さん
フイイ:神田恭兵さん
コンブフェール:原慎一郎さん
クールフェラック:高舛裕一さん
プルベール:杉野俊太郎さん
ジョリ:川島大典さん
レーグル:持木悠さん
バベ:櫻井太郎さん
ブリジョン:森山大輔さん
クラクスー:土倉有貴さん
モンパルナス:大津裕哉さん
ファクトリーガール:池谷祐子さん
買入屋:般若愛実さん
かつら屋:柳本奈都子さん
マダム:吉川恭子さん
女:浅野実奈子さん
女:藤咲みどりさん
女:石田佳名子さん
女:穂積由香さん
女:岡井結花さん
女:松本ほなみさん

であった。

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 アンサンブルは全体的にかなり若く、年配の俳優が演じたほうが良さそうな役も若年者で賄っているため、説得力に欠ける部分もあった。しかし、その分、第2幕のバリケードの場面では自由を求めて戦う若者たちの姿が躍動的に力強く表現されていた。また、若さもあってか、総じて芝居に鋭さを感じた。これまでCDで聞いてきた雰囲気に比べると、感情表現、とりわけ理不尽な社会への下層市民の怒りの表現が鋭くて強いと感じる部分が多かった。この勢いは第1幕終盤の「ワン・デイ・モア」に結実し、インターミッションに入ってもしばらく拍手が鳴り止まなかった。

 なお、座席がオケピットに近かったからかも知れないが、オーケストラの演奏が随分華やかに感じた。新演出だからなのか、ホールの残響特性なのか正直なところは分かりかねる。

 私は旧演出版を見たことがないので、新演出版との比較は出来ないが、例えば、「ワン・デイ・モア」のシーンでマリウスが「彼女と行くか、仲間と行くか」をエポニーヌに話しているシーンがあり、マリウスのダメ男ぶりが一目で分かるなど、細かい部分で、台詞には乗せずして、観客の作品への理解を助けているようなシーンが散見された。

 次に各キャストについてであるが、
 ジャン・バルジャンのキム・ジュンヒョンさんであるが、終始鋭さを感じさせた。原作を読んだ限りでは、改心してからのジャン・バルジャンには包容力がついているように理解していたので、そういう意味では、キムさんのジャン・バルジャンは、鋭くときに冷淡にさえ感じられた。以前、劇団四季に在団されていた頃に、ジーザス・クライスト・スーパースターのタイトルロールを演じておられたのを拝見したことがあり、その時のクールなジーザスを思い出しながら観ていた。

 ファンテーヌの和音美桜さんであるが、歌声の繊細さに思わず心を奪われた。歌声には定評のある方なので、今回初めて拝聴出来るのを密かに楽しみにしていた。

 コゼットの若井久美子さんは、全体的にはやや押しが弱く、とりわけエピローグでのジャン・バルジャンとの掛け合いでは、それを強く感じた。しかし、原作におけるコゼット像のとおりの透明感のある美しさが光っていた。

 マリウスの原田優一さんは、第1幕後半の「プリュメ街」、「心は愛に溢れて」の歌唱時にマイクトラブルに見舞われた。プツ、プツという大きなノイズが断続的に続いて、全く音が入らなくなった。客席最前方では辛うじて歌声は聞こえたが、後方の観客には充分聞こえなかったのではないかと思う。それでも冷静に対応され、窮地を乗り切られた。なお、後に「ワン・デイ・モア」のシーンでも、ジャベールの「明日は革命 嗅ぎ出してやる」の部分が聞こえないトラブルがあった。今回は音響面はトラブルが多く、この点は残念であった。

 エポニーヌの綿引さやかさんには、気迫を強く感じ、終始目を離せなかった。これほどの実力のある方が、当初はアンサンブルであったということに、アンサンブル勢の層の厚さを感じた。

 ジャベールの川口竜也さんには、すっかり魅了された。圧巻の歌声と表現力、存在感、どれを取っても素晴らしかった。カーテンコールでは男性客からの野太いブラボーの歓声が浴びせられていた。


 作品全体を通じてであるが、
 エポニーヌが第2幕で歌うアリア「オン・マイ・オウン」は、ファンテーヌが第1幕で歌う「ファンテーヌの死」とジャン・バルジャンが最後に歌う「エピローグ」の一部に旋律が共通している。いずれも自らの犠牲の下に、自らの命を賭して最愛の者への愛を貫く者が歌う旋律であり、そのことの暗示となっている。

 ファンテーヌにとってはコゼットが唯一のよすがであり、後に、ジャン・バルジャンも同じ思いをコゼットに抱く。エポニーヌもマリウスを唯一無二の存在と認識し、命を捧げてでもその人の幸せのために尽くそうとする。そして、彼らの犠牲のもとにコゼットとマリウスの幸せな未来が成り立っている。しかし、当の犠牲となった者達は、誰も自らが二人の犠牲になったなどとは言わないであろう。寧ろ彼らの幸せこそが命を賭けてでも得たかったものなのだと誇らしげに言うのだろう。それこそが無償の愛、真実の愛の形なのだ。

 このことは何も物語の世界の中の特別なことではなく、例えば、手塩にかけた子を巣立たせる親の心境たるやこれと同じくらい崇高なものなのだと感じる。この子を手元から失えば、自分にとっては大きな損失だと知りながらも、その子の幸せを望めばこそ、敢えて手元から飛び立たせる。最愛の者を得てその愛を全うすることは、自ずと人を神の領域に近づける。

 このミュージカルの最後でジャン・バルジャンは主の国の入り口で「誰かを愛することは神様のお傍にいることだ」と歌う。今回の観劇を通して、改めて我が人生を振り返り、私に献身的な愛を授けてくれた方々への感謝の思いが溢れ出した。

(7月5日・6日)劇団四季ミュージカル「キャッツ」仙台公演2公演観劇 [キャッツ]

 7月5日・6日と1泊2日で、東京エレクトロンホール仙台(宮城県民会館)で公演中の劇団四季ミュージカル「キャッツ」仙台公演観劇旅行に出掛けた。

 もともとは東京に小旅行に出掛けるつもりであったが、どうせお金を使うならば被災地に近いところでと思い、急遽仙台に行き先を変更した。観劇については、今回の仙台公演の趣旨も考え、被災地の皆さんのための公演なので、予めチケットを取っておくことをせず、直前に取得するようにした。駄目ならば観光旅行に切り替えるつもりだった。

 5日ソワレと6日マチネの2回観劇したが、いずれもキャストは同じで、
グリザベラ:横山幸江さん

ジェリーロラム=グリドルボーン:熊本亜記さん

ジェニエニドッツ:大口朋子さん

ランペルティーザ:山中由貴さん

ディミータ:相原 萌さん

ボンバルリーナ:恒川 愛さん

シラバブ:和田侑子さん

タントミール:高倉恵美さん

ジェミマ:松山育恵さん

ヴィクトリア:馬場美根子さん

カッサンドラ:藤岡あやさん

オールドデュトロノミー:青井緑平さん

アスパラガス=グロールタイガー/バストファージョーンズ:正木棟馬さん

マンカストラップ:萩原隆匡さん

ラム・タム・タガー:阿久津陽一郎さん

ミストフェリーズ:永野亮比己さん

マンゴジェリー:田中宣宗さん

スキンブルシャンクス:劉 昌明さん

コリコパット:入江航平さん

ランパスキャット:桧山 憲さん

カーバケッティー:光山優哉さん

ギルバート:新庄真一さん

マキャヴィティ:安芸雅史さん

タンブルブルータス:岩崎晋也さん

であった。


(5日リハーサル見学会)
 5日はリハーサル見学会の日に当たっていた。受付開始の午後3時45分には、既にホワイエはかなりの盛況であった。ホワイエの奥の扉付近まで進んでも、観客は途切れることなく続いていたが、驚いたのは、観客の皆さんが、自然に列を作って崩さなかったことである。これまでに大阪や京都でも四季の会のイベントに参加したことがあるが、開始時間前は、指定された扉の周囲で待てば良いことになっているので、たいていは皆さんそのようにして待っている。今回のようにきちんと整列し、あまり騒ぐこともなく静かに待っている様子に正直なところ少し感動した。
 午後4時10分にようやく場内に入ったが、1階席の7割位は埋め尽くされており、まさに大盛況であった。
 この日のリハーサルは、「ジェリクル舞踏会」の場面がメインで、一度通した後で、重要なポイントを確認したり、作品の解釈を確認したりしながら丁寧に進めていた。その他、「スキンブルシャンクス」の場面で皆の足を使って線路に見立てるところの足の高さを合わせたりといった細部の微調整を行っていた。
 リハーサル見学会後の質問コーナーでは、岩崎晋也さんの司会進行で、大口朋子さん、恒川 愛さん、青井緑平さん、劉 昌明さんの計5名が予め参加者から募った質問に答えた。

 あれだけ舞台で動き回っても疲れを残さない秘訣について尋ねた質問に、大口さんが、アミノ酸を服用することで疲れが出にくいと話され、その点については、他の俳優陣もその効果を認めているようだった。ミュージカル俳優と事務職は根本的に違うが、話を聞いていて、私も一度試してみたくなった。

 その他、青井さんの入団前後のエピソードとして、歌だけではなくダンスの要素も必要で大変だったが、それよりも大変だったのは全身タイツで人前に出ることだったと話されており、笑いを誘っていた。

 恒川さんはジンクスについて尋ねられ、コーラスラインの時は共演者の菊地正さんに手を合わせてから舞台に上がるのがジンクスだが、キャッツは袖と舞台の区別がないので特に何のジンクスもない旨を話されており、キャッツの特殊性については、他の俳優陣も共感されているようだった。
 加えて恒川さんからは、日頃猫を見掛けたら、挙動を観察しているとのお話があった。相手になろうとすると逃げられるおそれがあるため、敢えて静観しつつ、「どうするの?・・・どうするの?・・・そうするの・・・」と思いながら見ているのだそうだ。


(5日ソワレ)
 座席は1階S席7列目センターブロック上手側であった。

 この演目は、2006年9月9日に東京公演(五反田)を観ており、これがニ度目である。

 所謂ブックレスミュージカルなので、筋を追う必要がなく、気楽に見れる反面、漠然と見ていたら何が何だか分からない間に終わってしまう。

 前回、訳の分からない間に終わってしまった経験から、今回は、特別な一日を迎えた猫社会の中に紛れ込んで、猫達の悲喜こもごもを観察するつもりで観劇に臨んだ。

 この演目には、ミュージカルそのものの進行には必ずしも必要ではない「遊び」のようなものが至る所にちりばめられていて、改めて面白いと感じた。みんなが舞台で場面を進行しているのに、一匹だけ舞台隅のパンダのぬいぐるみを威嚇して、猫パンチをお見舞いしていたり、タガーの客いじりや、握手猫の演出、それ以前に、ゴミの装飾が過剰なまでに施されている劇場の装飾自体も全て「遊び」なのだが、これらが、この演目の独特の味というか雰囲気を醸し出している。

 オールドデュトロノミーの場面の「悲しみ越えた・・・」の下りで、ハンカチを使うご婦人が散見された。東北を襲った巨大災害を生き抜いた観客の心には殊更響く台詞なのかも知れない。私は、かつて阪神淡路大震災を経験し、数年はあの惨事を近傍に目の当たりにして、自らが今生きている意味を考えることが多かったのであるが、ご婦人の涙する姿を見て、その頃のことをふと思い出した。

 握手猫はオールドデュトロノミーの青井さんであった。衣装で軍手のような手袋で指先だけ素手のものを着けておられて、手触りに驚いたが、丁寧に握手して頂いた。


(6日マチネ)
 座席はS席1階4列目センターブロック上手側であった。

 昨日見ている時にシャム猫軍の動きにややチープさを感じていたのだが、今日改めて観てもやはりチープさを感じた。おそらくは、劇場猫ガスのこの世の名残の大芝居に周囲の猫たちが駆り出されたからこそあのチープさなのだと気付いて妙に納得した。

 この日の握手猫もオールドデュトロノミーの青井さんであった。思わず両手で握手してしまった。

 二日連続で見ると、舞台上の猫の間にも人間関係ならぬ猫関係があるのが見て取れた。特定の猫に親しくするもの、距離を置くもの、虐げるもの、虐げられるもの、善行をはたらくもの、悪行をはたらくもの・・・、まさに社会の縮図がこの舞台で展開されているのだと強く感じた。しかし、きれいごとばかりではない社会の縮図を垣間見ている我々観客は何故かくもこの演目を心から楽しめるのか。おそらくは、自らを利害の外に置き、自も他もない境地から自らが今生きている社会を認識することが出来たならば、この舞台を観ている今の心境と同じように、自分の人生に登場するあらゆる人々に愛おしさを感じ、周囲の人々に支えられて初めて自らの人生が輝いている真実に改めて気付かされ、人生を本当の意味で楽しむこと出来るのではないかと感じた。

(4月13日)劇団四季ミュージカル「ライオンキング」大阪公演マチネ観劇 [ライオンキング]

 13日土曜日は、大阪四季劇場でロングラン公演中のライオンキング大阪公演を観劇してきた。ここ暫く、身辺大変慌ただしく、劇団四季を観るのは約1年5ヶ月ぶり、大阪四季劇場には実に1年7ヶ月ぶりの来場であった。

 座席は1階S席7列目センターブロックの下手端であった。

 当日早朝に淡路島を震源とする最大震度6弱の地震があり、京阪神の公共交通機関が麻痺したこともあり、開演後も約1時間に渡り、観客がパラパラと劇場に入って来て、なかなか観劇に集中出来なかった。

 客層として特筆すべきは、子供連れの多さである。また、ミュージカルを見慣れていないと思われる観客も多く、このミュージカルが既に大衆の心を捉えるキラータイトルに成長していることが認識できた。

 キャストは、
ラフィキ : 鄭 雅美さん
ムファサ : 内海雅智さん
ザズ : 井上隆司さん
スカー : 金森 勝さん
ヤングシンバ : 藤井颯さん
ヤングナラ : 新美たま希さん
シェンジ : 吉田夏子さん
バンザイ : 池田英治さん
エド : 小田春樹さん
ティモン : 西尾健治さん
プンバァ : 荒木 勝さん
シンバ : 島村幸大さん
ナラ : 池松日佳瑠さん
サラビ : 西村麗子さん

【男性アンサンブル】
新井俊一さん
品川芳晃さん
小原哲夫さん
武智正光さん
田辺 容さん
山下啓太さん
天野陽一さん
森内翔大さん
浜名正義さん
吉田龍之介さん
廣野圭亮さん
塚下兼吾さん
虎尾信弘さん

【女性アンサンブル】
大田美樹さん
松田佑子さん
森田江里佳さん
平田曜子さん
福井麻起子さん
鳥海郁衣さん
江國冴香さん
新保綾那さん
池浦紗都子さん
引木 愛さん
間尾 茜さん
齋藤 舞さん

であった。

 実は、この演目は、13年程前、前回の大阪公演の際に、職場の集団観劇で観ている。生まれて初めて観たミュージカルがこのライオンキングであった。当時私は、ミュージカルをタモリが唱える理由(何故普通に言えばよい台詞をわざわざ歌って踊りながら言う必要があるのか)の如く嫌いであった。また劇団四季という団体にもある種のおどろおどろしさを感じていた。しかし、この観劇を契機に、ミュージカルも、劇団四季という団体も肯定的に捉えるようになった。そういう意味では、ミュージカルをある程度知った今、この演目が自分の感性にどのように映るのか、大変興味があった。

 キャストの感想については、

 ラフィキの鄭 雅美さんはまさに圧巻の声量であった。冒頭のサークル・オブ・ライフでは、音響トラブルか最後の方で音が少し歪んで聞こえたので少し残念であった。
 スカーの金森 勝さんは悪役をやらせてもソウルフルだ。スカーとしてはかなりのハイトーンボイスと思われるのだが、気迫がその違和感を吹き飛ばし、観客を惹き付けていく。
 ティモンの西尾健治さんは、関西弁と絶妙の間で劇場を大いに沸かせていた。以前から知っていた方だが、ダンスのイメージが強く、こんな才能があったとは、驚きである。
 プンバァの荒木 勝さんは流石のベテラン。2000年にナインティナインの岡村隆司さんがフジテレビの企画で劇団四季に入団した際のプンバァもこの方だったと記憶している。
 シンバの島村幸大さんは、若くいかにもシンバらしい凛々しさであった。高く澄んだ声で、スカーの金森さんの声とも相俟って、高い声の共演となった。
 ナラの池松日佳瑠さんは2010年サウンドオブミュージック東京公演でリーズルを拝見して以来だと思うが、ナラ役としてはややソフトな印象が残った。


 今回の観劇では、CDや所謂「岡村ライオンキング」で番組中に触れられたところ、触れられなかったところといった具合に、自分の関心が色分けされて感じた。やはり、岡村さんが演じたパートやハイエナダンスは穴が開くほど見てしまう。

 そういった主観的な部分を廃して冷静に眺めれば、子供は勿論ミュージカル初心者が、入り込みやすいような仕掛けが至る所に設けられたミュージカルであると感じる。

 ストーリー全般を通して感じることは、自らの命が実は自身だけのものではないということを強く訴えていることである。そして、自分の命に通じる数多の祖先達の存在を無意識のうちに意識せざるを得ないのである。
 ムファサは自らが王族だから息子のシンバに祖先の話をしたのではない。全ての命に共通する摂理の話をしたに過ぎないのである。そして、その摂理を認識すればこそ、自らの生を徒に過ごすことなく、自らの生に誇りを持ち、有意なものとすべき必然に気付かされるのである。

映画「レ・ミゼラブル」鑑賞 [レ・ミゼラブル]

 最寄の映画館で映画「レ・ミゼラブル」を鑑賞してきた。大ヒットしている作品とはいえ、封切後3週間を経ており、また、午前に観に行ったこともあり、館内はあまり混雑はしておらず、3~4割の客入りであった。

 この作品は、同名の大作ミュージカルの映画版であり、原作は、ヴィクトル・ユーゴーの名作「レ・ミゼラブル」(邦題「ああ無情」)である。

 実は、このミュージカルを、私はまだ観劇したことがなく、昨年に25周年記念コンサートのブルーレイを観たに過ぎない。予備知識の殆どないところでの今回の映画鑑賞だったが、第一印象としては、オペラの系譜を強く受け継ぐミュージカルであると感じた。

 とにかく、ライトモチーフを多用している。細かな旋律が似たシチュエーションで反復して何度も出てくる。そういった仕掛けがあちこちにあるため、観れば観るほど、新たな発見がある奥の深い作品であると感じる。

 壮大なストーリーかつ人間模様も多岐に及ぶので、細部に至るまで一度で感想を述べることは難しいが、全体的な感想を述べれば、荊の道を踏み越えてでも誠実に強く生き抜こうとすることの神々しさをひしひしと感じる作品である。

 ただし、かくあろうとした人々の末路は、概して厳しいものであった。我が子のためにと誠実に送金し続けたファンテーヌは身を堕として夭折し、叶わぬ恋と知りながらもマリウスに誠実に尽くしたエポニーヌは銃弾に倒れ、自らの主義主張に誠実であった若者達も戦いの中で命を落とし、自らの職務と信念に誠実であろうとしたジャベールは、それが故に価値観の崩壊に耐え切れず自ら命を絶った。そして、主人公のジャン・バルジャンでさえも司教から銀の燭台と共に託された神の意思の実現とファンテーヌに託された少女コゼットの未来のために誠実に尽くしたが、コゼットの幸せを見届けるや天に召されてしまう。

 自らの安楽や個人的な損得とは到底縁のないところで彼らは何かのために誠実かつ懸命に生き、そして死んでいった。作品の舞台は、刑務所や下層市民の社会を中心に展開していくため、下品な描写は山ほどあるが、作品全体を見終えた時には、懸命に与えられた生を生き抜いた者達の魂の気高さばかりが心に染み入り、思わず落涙を禁じ得ない。

 一方で、この物語を死なずに生き抜く者達のあさましさも見逃せなかった。数々の悪行を働くテナルディエ夫妻を筆頭に、給料のピンハネをする事業主、部下へのセクハラを繰り返す上司、経済的弱者となった女性に群がるケダモノども、革命の必要性を説く若者達に最初は同調していたにもかかわらずいざとなったら掌を返して彼等を見殺しにした市民達・・・皆、あまりにも小さくてズルくてどうしようもない存在なのである。

 しかし、この誠実な生き様の対極を行く、あさましい限りの存在の総体こそが、おそらくは自らの存在を含めたこの世の縮図なのだ。だからこそ、自分以外の何かのため尽くして死ねるだけ強い覚悟もなく、ややもすると漫然と自らの安楽や損得のために生き続けようとする小さくてズルい自らの正体に気付き、その哀しさに私は思わず落涙してしまったのかも知れない。


レ・ミゼラブル~サウンドトラック

レ・ミゼラブル~サウンドトラック

  • アーティスト: サントラ
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル インターナショナル
  • 発売日: 2012/12/26
  • メディア: CD


↑この映画のサウンドトラックです。
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