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映画「レ・ミゼラブル」鑑賞 [レ・ミゼラブル]

 最寄の映画館で映画「レ・ミゼラブル」を鑑賞してきた。大ヒットしている作品とはいえ、封切後3週間を経ており、また、午前に観に行ったこともあり、館内はあまり混雑はしておらず、3~4割の客入りであった。

 この作品は、同名の大作ミュージカルの映画版であり、原作は、ヴィクトル・ユーゴーの名作「レ・ミゼラブル」(邦題「ああ無情」)である。

 実は、このミュージカルを、私はまだ観劇したことがなく、昨年に25周年記念コンサートのブルーレイを観たに過ぎない。予備知識の殆どないところでの今回の映画鑑賞だったが、第一印象としては、オペラの系譜を強く受け継ぐミュージカルであると感じた。

 とにかく、ライトモチーフを多用している。細かな旋律が似たシチュエーションで反復して何度も出てくる。そういった仕掛けがあちこちにあるため、観れば観るほど、新たな発見がある奥の深い作品であると感じる。

 壮大なストーリーかつ人間模様も多岐に及ぶので、細部に至るまで一度で感想を述べることは難しいが、全体的な感想を述べれば、荊の道を踏み越えてでも誠実に強く生き抜こうとすることの神々しさをひしひしと感じる作品である。

 ただし、かくあろうとした人々の末路は、概して厳しいものであった。我が子のためにと誠実に送金し続けたファンテーヌは身を堕として夭折し、叶わぬ恋と知りながらもマリウスに誠実に尽くしたエポニーヌは銃弾に倒れ、自らの主義主張に誠実であった若者達も戦いの中で命を落とし、自らの職務と信念に誠実であろうとしたジャベールは、それが故に価値観の崩壊に耐え切れず自ら命を絶った。そして、主人公のジャン・バルジャンでさえも司教から銀の燭台と共に託された神の意思の実現とファンテーヌに託された少女コゼットの未来のために誠実に尽くしたが、コゼットの幸せを見届けるや天に召されてしまう。

 自らの安楽や個人的な損得とは到底縁のないところで彼らは何かのために誠実かつ懸命に生き、そして死んでいった。作品の舞台は、刑務所や下層市民の社会を中心に展開していくため、下品な描写は山ほどあるが、作品全体を見終えた時には、懸命に与えられた生を生き抜いた者達の魂の気高さばかりが心に染み入り、思わず落涙を禁じ得ない。

 一方で、この物語を死なずに生き抜く者達のあさましさも見逃せなかった。数々の悪行を働くテナルディエ夫妻を筆頭に、給料のピンハネをする事業主、部下へのセクハラを繰り返す上司、経済的弱者となった女性に群がるケダモノども、革命の必要性を説く若者達に最初は同調していたにもかかわらずいざとなったら掌を返して彼等を見殺しにした市民達・・・皆、あまりにも小さくてズルくてどうしようもない存在なのである。

 しかし、この誠実な生き様の対極を行く、あさましい限りの存在の総体こそが、おそらくは自らの存在を含めたこの世の縮図なのだ。だからこそ、自分以外の何かのため尽くして死ねるだけ強い覚悟もなく、ややもすると漫然と自らの安楽や損得のために生き続けようとする小さくてズルい自らの正体に気付き、その哀しさに私は思わず落涙してしまったのかも知れない。


レ・ミゼラブル~サウンドトラック

レ・ミゼラブル~サウンドトラック

  • アーティスト: サントラ
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル インターナショナル
  • 発売日: 2012/12/26
  • メディア: CD


↑この映画のサウンドトラックです。
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