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ミュージカル「オペラ座の怪人」とキリスト教 [オペラ座の怪人]

 前回(1月30日)の日記では、ミュージカル「オペラ座の怪人」の劇中劇「ドンファンの勝利」の構成のあべこべさについて述べた。今日は、その際拾いきれなかった周辺の論点について話をしたい。

 実は、この劇中劇であべこべなのは、手を引く者の設定だけではない。

 タイトルロールの配役においても、軟派かつ不純なモテ男ドンファンの役を、それとは正反対と言い得る硬派かつ純情なモテない男の怪人が演じている。

 さらには、「ドンファンの勝利」では、放蕩者のドンファンにはもっとも縁のないはずの受難劇を歌うのだ。

 「ドンファンの勝利」の劇中歌「ザ・ポイント・オブ・ノーリターン」では、アミンタ(クリスティーヌ)の歌詞で「もはやひけない二人きりの物語が始まる」(劇団四季訳)という下りがあるが、この「物語」は、原語版では、passionplay(受難劇)となっており、キリストが処刑されるまでの受難のことを指している。

 つまり、怪人と正反対の性質を持つドン・ジョヴァンニとドン・ジョヴァンニと正反対の性質を持つキリストという構図が成り立つ。おそらく怪人は、ドン・ジョヴァンニを介して誰もがひれ伏すキリストと同化しようとしているように思われる。

 ではなぜ、怪人がキリストと同化するのに受難劇を用いたのかであるが、受難劇でキリストは誤解が解けず苦しんだ末、命を落とすのであり、その苦しみこそが、唯一の理解者だったクリスティーヌを失おうとしている怪人が抱えてきた苦悩そのものであるからではないかと推測出来る。

 恐らくは、怪人にはクリスティーヌを永遠に失うことになるという結末が早くから見えていた。そして、今まさに消えようとしているこの唯一の愛に殉ずることも厭わぬ壮絶な覚悟で臨んだのが「ドンファンの勝利」なのだ。

 なお、「オペラ座の怪人」には、この他にもキリストと怪人を絡めるような暗示的な演出を行っている箇所がある。例えば、「ザ・ミュージック・オブ・ザ・ナイト」では、磔刑を連想させる振り付けがある。また、「墓場にて」の場面では怪人が十字架の中から登場する。

 私はキリスト教には疎いので、これくらいしか分からないが、この他にもあるかも知れないので、ご関心がおありの方は探してみて頂きたい。

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